今いくよ・くるよの死因と最期の真相とは?壮絶な闘病と固い絆を徹底解説
昭和から平成、そして令和の演芸界に至るまで、上方漫才の第一線を走り続けた女性漫才師のレジェンド、今いくよ・くるよ。派手な衣装に身を包み、「どやさ!」と腹を叩いて客席を爆笑の渦に巻き込んだあのエネルギッシュな舞台は、今なお多くの人々の脳裏に鮮烈に焼き付いています。2015年にツッコミの今いくよさんが旅立ち、2024年にはボケの今くるよさんが後を追うように逝去。相方の命日の前日に静かに息を引き取ったその最期は、半世紀を超えて結ばれた二人の魂の深さを物語るものでした。
激動の漫才ブームを駆け抜け、男性社会だった吉本興業の演芸界で確固たる地位を築いた二人は、どのような闘病生活を送り、最期の瞬間を迎えたのでしょうか。京都の高校ソフトボール部での運命の出会いから「どやさ」誕生の裏側、そして相方亡き後に中川家ら後輩芸人たちと紡いだ奇跡のユニットまで、関係者の証言と記録からその真実を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:今いくよさんは2015年5月28日に胃がん(享年67)、今くるよさんは2024年5月27日に膵臓がん(享年72)で逝去。くるよさんはいくよさんの命日の前日に旅立った。
- 要点2:高校ソフトボール部時代からの盟友であり、互いを「日本一の相方」と認め合う深い信頼関係が、半世紀にわたるコンビ活動と壮絶な闘病を支え続けた。
- 要点3:いくよさん没後、くるよさんは中川家とのユニット漫才などで舞台に立ち続け、遺された後輩たちへ惜しみない愛情を注ぎ、上方演芸界に不滅の足跡を遺した。
【最期の真相】二人が迎えた別れ|今いくよの胃がん闘病と今くるよの膵臓がん
上方漫才界を牽引した今いくよ・くるよの二人が迎えた最期の真相は、最後まで舞台と相方を愛し抜いた凄絶なプロフェッショナリズムの連続でした。先に病魔に襲われたのは、細身の体と軽妙なツッコミで舞台を引き締めていた今いくよさんでした。
2014年9月、定期検診をきっかけに胃がんが発覚。即座に入院治療が発表されましたが、いくよさんの漫才への情熱は決して途切れませんでした。過酷な抗がん剤治療を乗り越え、約2カ月半後の同年12月にはなんばグランド花月(NGK)の舞台で見事な復帰を果たします。舞台袖で出番を待つ間、激しい倦怠感や吐き気に襲われながらも、スポットライトを浴びた瞬間に背筋をピンと伸ばし、満面の笑みでセンターマイクに立つ姿は、劇場の芸人仲間や関係者を大きく震わせました。
しかし、病魔は確実に進行していました。2015年5月11日、京都・よしもと祇園花月での出番が、結果としてコンビ揃っての最後のステージとなります。その直後に体調が急変して再入院となり、わずか17日後の2015年5月28日、胃がんのため大阪府内の病院で息を引き取りました。最期を看取ったくるよさんは、ベッドに横たわる相方の手を固く握りしめ、「日本一の相方やった。ありがとう」と涙ながらに声をかけ続けたと報じられています。
相方を失ったくるよさんの喪失感は計り知れないものでした。一人残されたくるよさんもまた、持病と闘いながら生活を続けていましたが、2024年に入って体調を崩し、膵臓がんと診断されます。懸命な治療が続けられたものの、病状は好転せず、2024年5月27日に大阪市内の病院で静かに永眠しました。奇しくも、愛する相方・いくよさんの命日である5月28日の前日でした。報道各社の取材に対し、吉本興業の幹部や近親者は「まるで行く手を待っていたいくよさんのもとへ、約束通り旅立ったかのようだった」と語っています。

【データで見る軌跡】今いくよ・くるよの歩みと昭和・平成漫才史の記録
二人が歩んだ半世紀におよぶ道のりは、そのまま昭和・平成・令和における女性演芸史の成熟プロセスと重なります。二人の軌跡と歴史的な出来事を以下の年表データに整理しました。
| 年代・時期 | 主な出来事・活動ステージ | エピソード・健康状態の推移 | 演芸史における評価と意義 |
|---|---|---|---|
| 1960年代後半 | 京都明徳高校ソフトボール部での出会い | いくよがキャプテン、くるよがマネージャー兼キャッチャー。国体出場を果たす | 後の強固なコンビネーションを形作る体育会系の師弟・信頼関係の原点 |
| 1970年〜1973年 | 島田洋之介・今喜多代に入門、コンビ結成 | OL生活(呉服店・百貨店)を経て脱サラ。厳しい下積み時代を耐え抜く | 本格的なしゃべくり漫才の技法を師匠から徹底的に叩き込まれた修行期 |
| 1980年代前半 | 全国的な漫才ブームで大ブレイク | 『THE MANZAI』等に出演。派手な衣装と体型いじり、「どやさ」が定着 | 男社会だった演芸界で「女性が主役を張れる」ことを全国に証明 |
| 1984年・1986年 | 上方漫才大賞 奨励賞、大賞を受賞 | 実力派漫才師として名実ともに頂点へ。関西・東京のメディアを席巻 | 女性コンビとして初となる上方主要お笑い賞の連続制覇 |
| 2014年〜2015年 | 今いくよさんの闘病と急逝 | 2014年胃がん公表。2015年5月11日祇園花月が最終舞台、5月28日逝去(享年67) | 病床にあっても舞台復帰を諦めなかった伝説的プロ根性の体現 |
| 2015年〜2024年 | くるよさんの孤軍奮闘と中川家との共演 | 「今くるよ・中川家」として舞台へ。後輩を育成し続け、2024年5月27日膵臓がんで逝去(享年72) | 相方の魂を舞台に残しつつ、上方演芸の絆を次世代へ引き継いだ功労期 |
【運命の原点】高校ソフトボール部から結成へ|OL時代を経て弟子入りした決断
今いくよ・くるよの漫才の根底にあった阿吽の呼吸。その原点は、二人の若い頃、京都明徳高等学校(現・京都明徳高等学校)の高校ソフトボール部時代に遡ります。
部活内でいくよさんは持ち前のリーダーシップを発揮するキャプテン、くるよさんはチームを鼓舞する捕手(キャッチャー)兼マネージャーとして、ともに汗を流しました。厳しい練習を耐え抜き、国体(国民体育大会)に出場するほどの実力派チームでした。炎天下のグラウンドで培われた「上下関係の礼儀」「声を出して鼓舞し合う連帯感」、そして「互いの弱点を瞬時にカバーする信頼」は、後の芸能生活において最大の武器となります。
高校卒業後、二人は一度普通の社会人として就職しました。いくよさんは京都の老舗呉服店などでOLとして勤務し、くるよさんは阪神百貨店のエレベーターガールや案内係を務めるなど、堅実な生活を送っていました。しかし、二人で顔を合わせるたびに湧き上がったのは「一度きりの人生、二人で何か大きな勝負をしてみたい」という抑えがたい熱狂でした。
周囲の大反対を押し切り、1970年、夫婦漫才の大家であった島田洋之介・今喜多代の門を叩きます。当時の吉本興業において、若い女性がコンビで弟子入りすること自体が極めて異例の出来事でした。楽屋の掃除、師匠の身の回りの世話、厳しい舞台稽古に明け暮れる日々。喜多代師匠からは「舞台に出たら男も女もない。女を捨てて笑いを取りなさい」と厳しく指導され、二人は泣きながらネタ合わせを繰り返したといいます。1973年、正式にコンビ「今いくよ・くるよ」を結成し、上方演芸界の荒波へと漕ぎ出しました。

【ブレイクの舞台裏】「どやさ」誕生秘話と漫才ブームを駆け抜けた美学
1980年代初頭、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ漫才ブームにおいて、吉本興業の看板として頭角を現した二人のスタイルは極めて独創的でした。そのビジュアルと掛け合いは、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを放っていました。
すらりとした長身に濃いアイシャドウの「厚化粧」を施したいくよさんと、原色やフリルをふんだんにあしらった巨大なドレスを着て、豊満な体を揺らすくるよさん。いくよさんが「くるよちゃん、今日もえらい格好やね」と振ると、くるよさんが自分のお腹をポンポンとリズミカルに叩きながら、甲高い声で叫ぶ「どやさ!」。このギャグは一世を風靡し、瞬く間に全国の流行語となりました。
この「どやさ」というフレーズの誕生秘話について、くるよさんは生前のインタビューでこう明かしています。「もともとは京都弁の日常会話。『どうなの?』『どういうことよ?』『どんなもんや!』っていうニュアンスで普段から使っていた言葉やったんです」。楽屋での雑談中、先輩芸人やスタッフの無茶振りに対してくるよさんが「どやさ!」と返したところ、現場が大爆笑。それをいくよさんが見逃さず、「くるよちゃん、それ舞台で絶対使おう!」と背中を押したことで、伝説の持ちギャグへと昇華しました。
二人の漫才の美学は、決して相手を陰湿に傷つけない点にありました。体型や容姿をネタにしながらも、そこには底抜けの明るさと、お互いへの絶対的な敬意が宿っていました。くるよさんがいくよさんの細さを「胃下垂!」といじり、いくよさんがくるよさんを「電気代かかりそうな体」と突っ込む。自虐とツッコミをハイテンポで交錯させながら、最後は二人で顔を見合わせて笑ってしまう温かさこそが、老若男女に愛された最大の理由でした。
【実態検証】相方亡き後の今くるよと後輩芸人たち|中川家とのユニット「三人漫才」
2015年にいくよさんが急逝した後、くるよさんは深い悲しみに暮れながらも、一人で「今くるよ」の看板を守り続けました。しかし、長年培った阿吽の呼吸を失ったピン芸人としての舞台は、決して平坦なものではありませんでした。
その苦境を救い、くるよさんを再び劇場のセンターマイクへと呼び戻したのが、実力派漫才コンビの中川家(剛さん・礼二さん)でした。くるよさんは若手時代の中川家を実の息子のように可愛がり、いくよさんとともに食事をご馳走したり、舞台の相談に乗ったりと、並々ならぬ愛情を注いできた間柄でした。
中川家とのコラボレーションによって生まれたのが、演芸史に刻まれる変則ユニット「今くるよ・中川家」、別名「今いくよ・くるよ・くるよ」でした。この舞台では、中川家の剛さんがいくよさんの象徴である派手なメイクと細身のスーツで「いくよ役」に扮し、礼二さんがくるよさんと同じフリルのドレスを着て「2人目のくるよ」として登場。中央に本物のくるよさんが立ち、3人で息の合った掛け合いを披露するというものでした。
剛さんがいくよさんの独特のうなずきや手振りを完コピし、礼二さんとくるよさんが左右から交互にお腹を叩いて「どやさ!」「どやさ!」とユニゾンする姿に、客席は爆笑と同時に割れんばかりの感動の拍手に包まれました。くるよさんは舞台上で「いくよちゃんが帰ってきたみたいや!」と涙を浮かべて破顔し、後輩たちの優しさに深く感謝していたといいます。
2024年のくるよさんの訃報に際して放送された追悼特別番組では、博多華丸・大吉、中川家、次長課長、サカイストら総勢38組54名もの芸人が出演し、思い出を語り合いました。後輩たちから明かされたのは、楽屋に山のように差し入れられた高級弁当や果物、若手の単独ライブに自ら足を運んで「あんたらの漫才、最高やで!自信持ち!」と抱きしめて励ました名言エピソードの数々でした。くるよさんは上方演芸界の偉大な「お母ちゃん」として、後輩たちの心の中に生き続けています。

一般に知られていない盲点と誤解の是正|「女の友情は脆い」を覆した半世紀
世間やネット上では、長年活動する女性グループやコンビに対して「私生活では口を利かないのではないか」「ビジネスライクな冷え切った関係ではないか」という邪推が向けられがちです。しかし、今いくよ・くるよに関しては、そうしたステレオタイプは一切当てはまりませんでした。
二人は結成から半世紀、大きな衝突による解散危機を一度も経験していません。マネージャーや吉本興業関係者の証言によると、地方公演の移動の新幹線でも常に隣同士に座り、宿泊先のホテルでも夜遅くまでお茶を飲みながらネタの話や世間話をしていたといいます。この比類なき絆は、なぜ維持され続けたのでしょうか。
【プロの結論】「自立と共生」の境界線が示す人間関係の普遍的レッスン
心理学および社会学的な視点から二人の関係性を分析すると、健全なパートナーシップを維持するための極めて重要なレッスンが見えてきます。多くのコンビや仕事のパートナーが破綻する原因は、相手への過度な依存や、自分の価値観の押し付けによって生じる「共依存」や「境界線(バウンダリー)の侵害」にあります。
しかし、いくよ・くるよの二人は、高校時代の部活動という共通の原点を通じて、互いのプライベートな領域を尊重しながら、舞台の上では「コンビの成功」という共通目標に全力を尽くすという、健全な心理的境界線を確立していました。
【二人の関係性から学ぶべき判断基準】
- 目指すべき関係(向いている姿勢):相手の個性を無条件に面白がり、成功を自分のことのように喜べる関係。弱点を補い合い、感謝を言葉(「ありがとう」「日本一や」)で伝え続けられるパートナーシップ。
- 避けるべき関係(破綻するリスク):相手を自分色に染めようとするコントロール欲求や、経済的・精神的に一方だけが搾取する依存関係。成果を独り占めしようとする自己中心的な姿勢。
二人が見せた絆は、単なる仕事仲間の枠を超え、互いの人生の尊厳を守り抜いた「真のシスターフッド(女性同士の連帯)」の至高の到達点でした。
【今 いくよ くる よ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよさんと今くるよさんの死因と亡くなった時期は?
A1:ツッコミの今いくよさんは2014年に胃がんを公表し、2015年5月28日に胃がんのため満67歳で亡くなりました。ボケの今くるよさんは2024年5月27日に膵臓がんのため満72歳で逝去しました。くるよさんがいくよさんの命日の前日に旅立ったことは、演芸界でも大きな話題となりました。
Q2:有名フレーズ「どやさ」にはどのような意味があるのですか?
A2:「どやさ」は、くるよさんの出身地である京都の方言で、「どうなの?」「どうよ?」「どんなものだい!」といったニュアンスを持つ日常の口癖がベースになっています。楽屋での会話から生まれ、舞台上でお腹を叩きながら叫ぶアクションと組み合わさることで、全国的な流行ギャグへと発展しました。
Q3:いくよさん亡き後、中川家と結成したユニットとは何ですか?
A3:いくよさんの没後、くるよさんの舞台復帰を支えるため、中川家(剛・礼二)とともに「今くるよ・中川家」を結成しました。剛さんがいくよさんのメイクと仕草を真似てツッコミを担当し、礼二さんが2人目のくるよとして登場する「今いくよ・くるよ・くるよ」という三人漫才を披露し、劇場で大きな絶賛を浴びました。
Q4:現在の二人の顕彰や追悼の動きはどうなっていますか?
A4:吉本興業主催のお別れの会や追悼番組が開催されたほか、なんばグランド花月などの劇場資料館や上方演芸資料館において、二人が着用した華やかな衣装や受賞トロフィーが大切に保存・展示されています。後輩芸人たちによってエピソードが語り継がれ、上方演芸の不滅のレジェンドとして顕彰されています。
まとめ:上方演芸界の光として輝き続ける二人の魂
男性優位だった昭和の演芸界に飛び込み、持ち前のガッツと底抜けの明るさで道を切り拓いた今いくよ・くるよ。二人が残したものは、数々の爆笑の記録だけでなく、過酷な病魔に直面しても最後まで舞台に立ち続けた芸人としての気骨、そして何があっても相方を信じ抜いた無償の愛でした。
いくよさんが天国へと旅立ち、9年の時を経てくるよさんが合流した今、天上の舞台でもきっと、派手な衣装を着たすまし顔のいくよさんと、お腹を叩きながら「どやさ!」と叫ぶくるよさんの大爆笑漫才が繰り広げられているに違いありません。二人が灯した温かな笑いの火は、これからも時代を超えて多くの人々の心を照らし続けます。 (出典: 今 いくよ くる よ(Yahoo!ニュース))